企業の成長を左右する「人」の力。その価値を最大限に引き出し、競争優位性を確立する「人的資本経営」が、今や企業にとって避けては通れないテーマとなっています。しかし、多くの企業では、依然として勘や経験則に基づいた人事が主流ではないでしょうか。

本記事では、ピープルアナリティクスの基本から、国内外の最新動向、具体的な成功事例、そして自社で導入するための具体的なステップや注意点まで、その全知識を網羅的に解説します。データに基づいた次世代の人事戦略で、企業の未来を切り拓く第一歩を踏み出しましょう。

ピープルアナリティクスとは

現代のビジネス環境において、企業競争力の源泉は「人」へとシフトしています。複雑化する市場の中で持続的な成長を実現するためには、従業員一人ひとりの能力を最大限に引き出し、組織全体のパフォーマンスを最適化する戦略が不可欠です。そこで注目されているのが、ピープルアナリティクスです。

これは、組織に蓄積された人材、タレント、および組織に関するデータを収集し、分析することで、ビジネス成果の向上を目指す実践的なアプローチを指します。具体的には、採用活動において入社後のミスマッチを未然に防ぎ、自社に最適な優秀な人材を効率的に確保することが挙げられます。

また、離職リスクの高い従業員を早期に特定して定着率を向上させることにも活用されます。従来の「勘」や「経験」に頼りがちだった人事の意思決定から、データに基づく科学的なアプローチへと移行することで、より効率的に成果を達成し、従業員からの信頼性を高めることが期待されます。

なぜ今、ピープルアナリティクスが重要なのか

現代の企業が直面する大きな課題の一つが「人的資本経営」への転換です。経済産業省の調査によれば、9割の企業がその重要性を認識していると報告されており、これは人材が企業の持続的成長を支える最も重要な資産であるという認識が広まっていることを示しています。

テキサス南大学JHJビジネススクールが公開する記事によれば、ピープルアナリティクスは、人事データの分析結果に基づき、企業と人材が目指すべき理想的な姿へと導く「羅針盤」のような役割を果たすと期待されています。

従来のHR部門は、主に管理業務やサポート機能に重点を置いてきましたが、ピープルアナリティクスの導入により、その役割は大きく変革し、経営戦略に直接貢献する「戦略的パートナー」としての地位を確立する基盤となります。

データとAIの活用が進むことで、HRプロフェッショナルはルーティン業務から解放され、より付加価値の高い戦略的な活動に時間と労力を集中させることが可能になります。

参考:

経済産業省「人的資本経営に関する調査 集計結果」

Tennessee State University”People analytics and disruptive technologies transforming HR roles”

ピープルアナリティクスで実現できることとは

ピープルアナリティクスは、人事におけるさまざまな課題解決に貢献し、企業の競争力向上に直結する多様な価値を提供します。ここでは、具体的な活用事例をいくつかご紹介します。

採用活動の最適化

採用活動におけるミスマッチは、企業にとっても求職者にとっても大きな損失です。ピープルアナリティクスは、過去の採用データや適性検査(SPI)の分析を通じて、自社で活躍するハイパフォーマーの人材像を客観的に特定し、採用基準を明確に整理することを可能にします。

これにより、よりターゲットを絞った採用戦略を立案し、選考プロセスの効率化を図ることができます。

例えば、ソフトバンクでは新卒採用時にピープルアナリティクスを活用したAIを導入し、エントリーシートの確認業務を大幅に削減しました。また、コニカミノルタでは2018年度に人事部内にデータサイエンティストを配置し、適性検査やパフォーマンスデータなどを分析して求める人材を可視化することで、採用の精度向上に繋げています。

参考:

ソフトバンク株式会社「新卒採用選考におけるIBM Watsonの活用について」
NIKKEIリスキリング「変革実行型がほしい コニカミノルタの新卒採用テック」

人材育成と適材適所

従業員のエンゲージメントと生産性を高めるためには、個々の能力に応じた適切な育成と配置が不可欠です。ピープルアナリティクスは、従業員の成長を「個性と環境(チームと仕事)をかけあわせた結果」として捉える独自の視点を提供します。

社員の保有資格や研修受講履歴などの情報を一元的に管理し、スキルや特性に基づいて社員を抽出する機能を持つツールも存在します。これにより、個人の潜在能力を最大限に引き出すためのカスタマイズされた育成プログラムの設計や、最適な人員配置を支援します。

さらに、従業員の現在のスキルだけでなく、将来的に必要となるスキルを特定し、そのギャップを埋めるための具体的な研修ニーズを特定するのにも役立ちます。これにより、戦略的な人材開発投資を可能にし、組織全体のスキル向上を促進します。

離職予測と定着率向上

従業員の離職は企業にとって大きな損失であり、その要因を事前に特定し対策を講じることは喫緊の課題です。

ピープルアナリティクスは、性別、年齢、勤続年数、職位滞留年数などの過去データを詳細に分析し、退職者と在職者を分類する予測モデルを構築することで、現在の従業員が将来的に退職する確率を高い精度で予測することが可能になります。

実際に、ある人材派遣会社では、この退職予測モデルが約90%の精度を実現しており、離職防止のための効果的な介入に役立てられています。さらに、ピープルアナリティクスは、部門ごとの離職率の差異を特定したり、従業員が離職する根本的な理由を多角的に理解したりするのにも貢献します。これにより、従業員のエンゲージメントを高め、長期的な定着を促すための具体的な施策を立案し、実行することができます。

組織パフォーマンスの最大化

ピープルアナリティクスは、個人のパフォーマンスだけでなく、組織全体の生産性向上にも貢献します。例えば、従業員の行動データ(社用パソコンの稼働状況、電子メールの送受信履歴、会議への参加時間など)やオフィスデータ(会議室や休憩所の使用頻度、エレベーターの稼働率など)を分析することで、社員の行動パターンやコミュニケーションの傾向を間接的に把握できます。

これにより、非効率な業務プロセスを特定したり、部門間の連携を阻害する要因を発見したりすることが可能になります。

さらに、従業員エンゲージメント調査やパルスサーベイといったツールと組み合わせることで、組織の現状をリアルタイムで可視化・数値化し、組織改善のためのPDCAサイクルを効果的に回すことができます。特定の学習と能力開発(L&D)プログラムが従業員のパフォーマンスや企業の収益向上にどのように貢献しているかをデータで示すことで、組織は予算をより効果的に配分し、投資対効果を最大化することが可能になります。

ピープルアナリティクスの導入のステップと成功の鍵

ピープルアナリティクスを自社で導入する際、どのような手順で進めれば良いのでしょうか。ここでは、SHRMが公開する論文をもとに導入の基本的なステップと、成功に導くための鍵をご紹介します。

導入の基本的な進め方

ピープルアナリティクスを進める基本的な手順は、以下の5つのステップで構成されます。

目的の設定 

最も重要な最初のステップは、経営課題に明確に紐づいた具体的な目的を設定することです。例えば、「新卒採用者の3年以内離職率をX%削減する」といった具体的で測定可能な目標を設定します。

データ収集・特定 

目的達成に必要なデータを特定し、収集します。データは、従業員の適性検査結果、人事考課、異動履歴といった人事情報、出勤状況や労働時間、休暇取得状況などの勤怠情報、さらには社員間のコミュニケーション情報やPC稼働状況といった社内での行動情報まで、多岐にわたります。この段階で、データの品質(正確性、完全性、一貫性、タイムリーさなど)を確保することが極めて重要です。実際、データクレンジングにチームの時間の25-30%を要するという調査結果もあります。

データ分析 

収集したデータを分析し、仮説を検証します。専門的な統計分析ツールやピープルアナリティクスツールを活用し、パターンや相関関係、傾向などを導き出します。

施策立案・実行 

分析結果に基づいて具体的な人事施策を立案し、実行します。例えば、離職リスクが高い従業員に対する面談の実施や、特定のスキルギャップを埋めるための研修プログラムの導入などが考えられます。

効果測定・改善 

施策の効果を定期的に測定し、当初設定した目的が達成されているかを確認します。効果が不十分な場合は、原因を分析し、施策を改善していきます。このPDCAサイクルを継続的に回すことで、ピープルアナリティクスの効果を最大化します。

参考:

SHRM”Use of People Analytics in HR”

自社に合ったツールの選び方

ツール選びで最も重要なのは、自社がピープルアナリティクスを通じて何を達成したいのか、その「目的」を明確にすることです。目的が定まっていなければ、高機能なツールを導入しても宝の持ち腐れになってしまう可能性があります。

次に考慮すべきは、既存のITインフラとの連携の容易さです。現在使用している人事システムや勤怠管理システムとスムーズに連携できるか、データのインポート・エクスポートが容易かなどを確認しましょう。

また、自社内のデータ分析スキルを持った人材の有無もツールの選択に影響を与えます。高度な分析機能を持つツールは、それに見合ったスキルを持つ人材が必要です。初期段階であれば、Excelでも対応可能なセミナーも開催されているため、まずはスモールスタートで始めることも検討しましょう。

最後に、AIを活用したツールの場合、その意思決定ロジックがどの程度透明であるかは、倫理的配慮や法的リスクの観点からも確認すべき点です。従業員のデータを取り扱う以上、分析結果がどのように導き出されたのかが明確であることは、信頼性の確保に繋がります。

まとめ

本記事では、ピープルアナリティクスの基本的な概念から、日本国内の導入状況、具体的な活用事例、導入のステップ、そして将来の展望までを詳しく解説しました。

ピープルアナリティクスは、単なるトレンドではなく、データに基づいた人事戦略が不可欠となる現代において、企業が持続的な成長を遂げるための強力な羅針盤となります。