定額残業手当を導入する場合、何に気をつけるべきか気になる方は多いでしょう。定額残業手当は毎月の給与にあらかじめ残業代を含む制度ですが、「いくら残業させても残業代が変わらない」という仕組みではありません。

本記事では実際の裁判事例とともに運用時の注意点を紹介します。定額残業手当について正しく理解・運用するための参考にしてください。

定額残業手当とは?

定額残業手当とは、実際の残業の有無に関係なく、あらかじめ毎月の給与の中に定額の割増賃金(残業代)を含む制度を指し、「固定残業代」や「みなし残業代」とも呼ばれます。

使用者側にとっての定額残業手当のメリットは、残業代の変動が少なくなり事前に予算計画を立てやすくなることです。

一方で、定額残業手当には「労働者に支払う賃金を抑制し人件費を削減するための仕組み」というイメージがあり、マイナスのイメージを持たれやすいのがデメリットです。適切に運用しないと、労使トラブルに発展するリスクもあるでしょう。

定額残業手当を運用するには、以下のような要件を満たす必要があるため覚えておきましょう。

  • 通常の賃金にあたる部分と割増賃金にあたる部分を明確に区分されていること(明確区分性)
  • 定額残業代が時間外労働の対価として支払われていること(対価性)
  • 定額残業代がカバーする範囲を超える時間外労働については別途割増賃金を支払う(差額精算性)

対価性の観点から見ると、たとえば営業職という仕事の対価として支払う「営業手当」を固定残業代に組み込むことは判例において否認されており、認められない可能性が高いといえます。すべての手当を固定残業代に含むことはできないので注意しましょう。

定額残業手当において訴訟になった事例

定額残業手当の運用が訴訟につながった裁判事例を紹介します。ありがちなトラブルを把握し、適正な制度運用に活かしましょう。

テックジャパン事件

会社はAに対し、基本給を月額41万円として、月の労働時間が180時間を超えた場合に超過した労働時間分の割増賃金を別途支払うことを約束して採用した。

Aは法定労働時間を超える時間外労働をしていたが、労働時間が180時間を下回る月では割増賃金は支払われなかった。

Aはこれに対し、1ヶ月の労働時間が180時間以下であっても、時間外労働に対しては割増賃金が支払われるべきであると主張。割増賃金と付加金の支払いを求めた。

最高裁判所は、基本給41万円に関して、通常の労働時間の賃金にあたる部分と時間外労働に対する割増賃金にあたる部分を区別することはできないと判断(明確区分性を否定)。基本給の支払いによって、労働基準法が定める割増賃金を支払ったものとはみなすことはできないとした。

テックジャパン事件における判決のポイント

同事件では基本給は41万円となっていますが、その中で「通常の労働時間の賃金にあたる部分」と「時間外労働の割増賃金にあたる部分」が区別されていません。

そのため、会社側は労働基準法で定められた時間外労働手当を支払っていないものと判断され、1ヶ月の総労働時間が180時間以下の月に関しても、割増賃金を支払うように命じられました。

テックジャパン事件以前も基本給部分と固定残業代部分との区別は要求されていましたが、同事件では厳密に明確な区分を行うべきという定額残業手当の方向性が示されたことが特徴です。

定額残業手当を導入するうえで、把握しておくべきこと

定額残業手当を導入するうえで、以下の点に気をつけましょう。

固定残業代と時間外労働分の賃金を混同しない

定額残業手当の運用にあたっては、 固定残業代と時間外労働分の賃金を混同しないように注意しましょう。

固定残業代はすべての時間外労働分の賃金をカバーするものではありません。実際の時間外労働によって発生する賃金があらかじめ設定した固定残業代を超えた場合、差額の賃金を支給する必要があります(差額精算性)。

そもそも、時間外労働とは、企業が定める所定労働時間あるいは労基法32条が定める法定労働時間を超える労働時間を指します。法定労働時間は、原則として1日8時間・1週間40時間であり、これを超える場合は割増賃金の対象となるので覚えておきましょう。

また、深夜に労働させた場合は、時間外労働に加えて深夜労働分の割増賃金を支払わなければなりません。

賃金のうち固定残業代がいくらか提示する必要がある

定額残業手当を導入するには、賃金のうち固定残業代がいくらかを明確に提示しなければなりません。採用にあたって求人を出す際は、以下の3点を記載することが職業安定法(第五条の三)により定められているので気をつけましょう。

  • 固定残業代を除いた基本給の額
  • 固定残業代に関する労働時間数と金額等の計算方法
  • 固定残業時間を超える時間外労働、 休日労働および深夜労働に対して割増賃金を追加で支払う旨

定額残業手当を導入するうえで、対応すべきこと

定額残業手当を導入するうえでは、従業員とのトラブルを避けるため以下の対応を行いましょう。

労働条件明示書に給与詳細を記載する

労働者と雇用契約を結ぶ際は、労働条件明示書を作成し給与に関する詳細を記載しましょう。労働契約の締結時には、賃金以外にも、契約期間や就業場所・時間などの項目について明示することが定められているので、そちらも漏れなく記載する必要があります。

別途、固定残業代に関する書面を作成する

定額残業手当に関する裁判では、「労働者が自由な意思で制度について同意したか」という真意性が問われることがあります。これに対する対策としては、労働条件明示書とは別に定額残業手当に関する説明書と同意書を作成すると良いでしょう。

確認書類にサインをもらう

労働者に説明書の内容を理解してもらったら、説明書と同意書の両方に定額残業手当の規定に合意したというサインをもらいましょう。

その他の賃金にまつわるトラブル例

定額残業手当以外にも、賃金にまつわるトラブル事例を紹介します。賃金の過払いに関する裁判事例を挙げるので、賃金の支払いミスがあった場合に備えて確認しておきましょう。

福島県教祖事件

学校の教職員Bが職場離脱をして一定時間勤務しなかったことがあった。しかし、学校側はBが勤務しなかった時間分を含む9月の賃金と、本来支払わなくて良い12月の勤勉手当を誤って支給した。

そこで、学校側は翌年1月に過払い分の返還を求め、応じない場合は給与から減額する旨を通知。Bは応じなかったため、学校側は9月の賃金を2月分の賃金から、12月分の勤勉手当を3月分の賃金からそれぞれ過払い分を控除した。

Bは学校側の対応が労働基準法の「賃金全額払いの原則」に違反するとし、控除した金額の支払いを求めた。

裁判所は、計算ミスなどによって生じた過払い分の控除は合理的であるとし、調整を行ったとしても実質的には本来支払われるべき賃金は全額が支給されていると判断。Bの訴えは退けられた。

福島県教祖事件における判決のポイント

福島県教祖事件における判決のポイントは、学校側が「あらかじめ労働者に予告していた」「控除額が多額でなかった」「過払いがあった時期と合理的に接着した時期に相殺が行われた」という条件を揃えていたことです。

裁判では、適切な賃金を支払うための相殺は、行使の時期や金額から見て労働者の経済生活の安定を脅かさない場合、賃金全額支払いの原則に違反しないとされました。

ただし、9月分の賃金に関しては請求時期が過払い発生の4ヶ月後で「合理的に接着した時期」と認められず無効となっています。

もし賃金の過払いが発生してしまったら?

給与計算ミスなどによって賃金の過払いが発生した場合は、発覚後すぐに対応を行うことが重要です。過払いを発見したら対象の従業員に謝罪し、翌月の賃金から過払い分を差し引くことを伝えましょう。

また、賃金から過払い金を差し引く際は、税金や社会保険料などの「控除項目」から引かないように注意しましょう。過払い金を調整する場合、必ず事前に通知したうえで「支給項目」から差し引くようにしてください。

まとめ

賃金に関しては、運用のミスがあると労使間のトラブルに発展しがちです。特に、定額残業手当は正しく運用されていない職場も多いため、自社の体制に間違いがないか見直しましょう。労働者との認識のずれを防ぐには、労働契約時に固定残業代に関する書面を作成して規定への合意を求めることが賢明です。

何らかのミスで賃金の過払いが発生した際も、労働者に謝罪したうえで迅速な対応を行うことでトラブルにつながるのを避けましょう。